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Tyees_Cafe

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経営IT関連理論等応用

経営・IT関連理論・実践法によるピアノ音楽演奏論1
---latest modification・・・2005.2.20---

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1. 弘法筆を選ばず?
・・・・・・・・・・・・・・・・ピアノ音楽(の演奏)論(初回)
2. 強く思う事は実現する?
・・・・・・・・・・・・・・・・ピアノ音楽(の演奏)論(その2)
3. 思いぬく力?
・・・・・・・・・・・・・・・・ピアノ音楽(の演奏)論(その3)
4. 七つの習慣--自分自身を変える為のプロセス論--
・・・・・・・・・・・・・・・・ピアノ音楽(の演奏)論(その4)
5. 妥協にあたってのポリシー/ドラッカー
・・・・・・・・・・・・・・・・ピアノ音楽(の演奏)論(その5)

--continued--
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簡略テーマ--
あるピアノ曲を弾きこなしていくためのアマチュアならではの方法論の検討シリーズ、第七弾である。
経営やIT系の各種理論や実践法を、練習に応用してみると、なにか役にたつかもしれない?!
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概略theme--
「アマチュアで技術もないけれど、ラフマニノフコンチェルト2番を弾いてみたい。」こんな夢を実現するための方法論はないのかなー? 一楽章のみでも!!」
・・・
練習にも、もしかすると、音楽以外の分野の各種理論や実践法が役にたつかもしれない。
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弘法筆を選ばず? ・・・・・・ピアノ音楽(の演奏)論(初回)
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今回は、ピアノ音楽(の演奏)論について結構まじめに考えてみた。今回は初回かな?

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ここに、ラフマニノフのピアノコンチェルト二番の一冊の楽譜がある。
自分は、この曲が好きであり、聴くのは勿論、自分で弾けるようになりたいと考えているものとする。
そして、夢としては、この曲をオケと、どうしても無理ならば、もう一台のピアノとあわせて弾いてみたい。しかも、聴衆の前で。

ただし、自分は、アマチュアで、まだこの曲が弾ける技術はもっていない。
努力すれば、譜読みまではできるかもしれない。。。
--

上記のような状態の場合に、夢の実現に向けて適用できる、良い理論はないのかなと考え始めている。
マネジメントやITの仕事をしているのだから、たとえばマネジメントの理論を上記実現にあてるはめると、多少とも日常の練習なりにも良い方向感やヒントが与えられるのではないかと思うのである。勿論的外れなのかもしれない。

--
自分は、ピアノ音楽の伝統的な教育を受けてはいない。
大学のときに、色々なピアノの素晴らしく上手な先輩・同輩・そして、後輩に囲まれ刺激を受けたことが、精神的にはある面で、ピアノをやりたいという原動力になっているのは間違いがない。

しかし、年数がたって、また、ピアノを練習したいなと思いはじめたときに、バッハをやっていないし、古典もやっていない。
この状態で、全く異なるジャンルの難しい新曲、是非やってみたい曲を練習して弾くということが可能なのか、弾けるようにはなってもそれで満足できるのかという自分の課題にぶつかった。(昔学生の頃は、そんなことは考えもせずに好きな曲だけ練習していたのだが)

しかし、自分はアマチュアであるし、小学生高学年か中学生の頃から、伝統的ピアノ教育を受けていない。
逆にこの特徴(短所?)を活かしてどのように、夢の実現に少しでも近づいていけるのか考えてみることは、有意義かもしれない。

アマチュアだから、趣味だからといいつつも、自分としては、たとえば、上記ラフコン2番を弾いてみたいという夢実現に向けては、そのプロセスにおいて、自分なりのこだわりをもちつつ、また、自分なりの特徴を出しつつやっていきたいものである。

--
さて、今回は、主要な想定断面を検討しておきたい。
そして、今後は、時々、続章を書いていきたいものである。


まず、「夢、そして目標設定論」である。
・これについてはジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」あたりが活用できそうである。また、コヴィーの「七つの習慣」も関連してくるかもしれない。

次に、目標に向けての実現の為の論。
・これについては上記の「七つの習慣」、そして「プロジェクトマネジメント」や「TOC」論が役に立つのではないかなと思う。
また、ベストプラクティス論やスタンダード論も役にたつかもしれない。
また、付帯的に、「コーチング」手法が応用できるかもしれない。。。

--
今回は、その前の本質論について少々。

情報システムのお仕事などしていると、必ず、プロジェクトマネジメントというものが必要になってくる。
高層ビルをたてるといった建設の世界では、かなり体系だてられ成熟した、手法が確立しているらしいが、目に見えにくい情報システムの世界では、まだまだ、システムが無事稼働に至るまでのプロジェクトマネジメントは、発展途上であるようだ。
もっとも、近年では、理論については、完備してきている。

ところで、情報システム構築において、プロジェクトマネジメントが必要な理由のひとつとして、以下の事項がある。

「共通プラットフォームを活用し、システムを効率的に構築するため誰のための何のためのシステムなのかの目的意識をあわせることで、課題や問題点を明確にし、プロジェクトを円滑に進める。」

しかし、「何をするシステムなのか」という目的意識部分は、おおむね希薄 あるいは 関係者の意見がすりあっていないことが多い。また、誰のために何をし、何が重要なのか??という点も見落とされる場合が有る。
一方、どのような手段で実現するのかについては、結構きちんと議論されつくされる。

情報システムは作ることではなく使われ続けられることが重要であり、何のためのシステムなのかということは、本質論であろう。

目的論が本質ということである。・・・why??
--

さて、話が長びいてしまった。しかし、もう少々。

上記を ピアノ音楽でいうと、以下のようになろうか。

「ピアノ音楽は練習し、弾くことではなく、聴き続けられることが重要であり、何のためのピアノ音楽なのかということは本質論。」

但し、ピアノを弾く立場からは少々上記であると聴くことがメインで苦しいので、以下弾く立場も認めることにしよう。

「ピアノ音楽は練習し、弾くことではなく、弾き続けられることが重要であり、何のためのピアノ音楽なのかということは本質論。」
・・・why piano music???


さて、でも  ピアノ音楽は何のため?、ピアノ音楽の目的って何だろう、と考えだすと極端に難しくなる。

・「ピアノ音楽のさまざまな具体的な効能を有効に活用し、それが人類の幸福?につながることが大切」???

・・・ストレス発散、精神状態の安定化、脳への刺激とバランスある発達、深いレベルの感情の育成、精神誘導法?、やる気やパワーの源、場合によっては、病への改善適用、音楽療法等???
・・・・

うーむ、なかなか苦しいところがある。
音楽療法等のさらなる発展を祈りたいが、別に、これは、ピアノ音楽だけである必要は無い。
童謡やポピュラー、また、ピアノでない楽器によるものでも目的にあっていれば問題はない。

一方、そこまでの具体的な効能をめざした目標というよりは、

「・・・感動を与えたい、自己実現、弾く事で自らの感動をさらに高めたい・・・」

といったより広く一般的定性的な柔らかな目標のほうが身近でしっくりくるのかもしれない。

さらには、音楽は、太古よりの人間の本質的活動のひとつであり・・・・という論もあろう。
また、ピアノ音楽ではなく、すべての音楽、さらには、音によるものすべてを含めての議論とすべきであるとの論もあるかもしれない。
が、今回は、これはやめておこう。

--
以上、目的論は、上記のように多様であろうが、その一方、
ピアノ音楽の実現手段、表現手段は場合、まさしくそれは「ピアノ」となる。

但し、私のように、練習は、本物のピアノではなく、「電子ピアノ」という場合もあるが。

上記プロジェクトマネジメント論からいって、どのような手段で実現するかということは、単に「ピアノ」であり、大変シンプル。ほぼ、考える余地もない。
--

・・・結論・・・・
ピアノ音楽の上達を目標にする為に、何の為?、目的は、と本質を考えると、頭が痛くなる。そんな時間があったら、弾いて練習することがく大切、音楽を楽しむことが大切?!

いやいや、これではいけない。一応まじめに。

「ピアノ音楽は、プロジェクトマネジメント?上、目標設定、何の為にという部分は、もやもやとしているし、幅広く多目的。しかし、実現手段は「ピアノ」であり、大変明白でシンプルである。」

私にとって、ラフコン2番を弾くという夢の実現は、上記のようなレアな特徴をもった、プロジェクトなのであろう。

難しい課題、でもあきらめずにWhy?と考え続けていきたい。
--

**本日の心に残る言葉メモ**
「弘法筆を選ばず」

弘法大師は書の達人であったので、より良い筆を選ぶ必要など無かった。
略すと、「弘法大師は筆には文句を言わなかった」

上が正しい意味であると理解していますが、以下のような俗説?もあるみたいです。

「達人は道具選択においてもずば抜けた目利きであるから、迷ったりはしない。」
「名人はもともと最高の道具を持っているのだから、道具選びなんかしない。」

道具の扱いや使い方に精通した達人。。。

しかし、ピアノ弾きは、一般的に、調律もできないし、メンテナンスは、専門家にまかせるのが普通。ギターは、調弦くらいは、自分でやるのがあたりまえ。

よく考えてみると、
ピアノという楽器、その音楽は、高度に分化した文化的発展の結果の所産、そして資産なのであろう。
いまさらながら、ピアノの不思議に気付いてしまった。

--続く--

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強く思う事は実現する? ・・・・・・ピアノ音楽(の演奏)論(その2)
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今回は、昨日に引き続き、ピアノ音楽(の演奏)論(その2)について考えてみた。

テーマはおおむね以下であった。
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「アマチュアで技術もないけれど、ラフマのコンチェルト2番を弾いてみたい。」こんな夢を実現するための方法論はないのかなー?

前提として、
自分はアマチュアであり、しかも、小学生高学年以後、バッハやモーツァルト、ベートーベンソナタ等伝統的ピアノ教育を受けていない。
でも、アマチュアだから、趣味だからといいつつも、自分としては、たとえば、上記ラフコン2番を弾いてみたいという夢実現に向けてのプロセスについては、自分なりのこだわりをもちつつ、また、自分なりの特徴を出しつつやっていきたい。
練習にも、もしかすると、音楽以外の分野の各種理論や実践法が役にたつかもしれない。
--
昨日は、ピアノ音楽の目的論、本質論を考えてみたけれど、今回は、方法論だ。

「夢、そして目標設定論」。

これについて音楽とは異分野で適用できそうな論の概略を参考まで簡単に紹介してみよう。


まず
・ジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」・・・

100年以上も前に出版されたが、日本では、2003年に大ヒット。グローバルには、聖書に次いで読まれているというほどのロングセラー本らしい。
後のナポレオン・ヒルの成功の哲学系やPMARプログラム、デール・カーネギー「人を動かす」なりの原典ともいえる本。
ジェームズアレンは、1864年イギリス生まれ。

その主な主張は以下。
「強く思う事は実現する」
・結果としての失敗も成功もその原因は、心の奥底にある思いにあり、原因こそが改善されねばならない。
・環境は思いから生まれるものである。
・私たちの環境をつくっているのは、私たち自身である。

人生は「原因」と「結果」の法則にしたがってつくられる。
人は自分が考えたとおりの人間になり、考えた通りの人生を生きている。
人間は、原因と結果の法則に従い、常にいるべき場所にいる。
あなたをそこに運んできたのはあなたの思いだ。
人生には偶然はない。
あなたはなるべくしてそうなった。
私たちの運命を決定するものは、私たち自身の中にある。
私たちは自分自身にのみ束縛される存在だ。
自分こそが自分を束縛する看守であり、自分を束縛から解放する救済主でもある。
--
次に、コヴィーの「七つの習慣」であるが、これは、実践編的でもあるので、またの機会に譲ろう。
#

強く思う事は実現する・・・力強い言葉である。
これは、人生の成功・実現論にも使えるわけであるが、今回は、自分の課題のラフコンからである。

「Tyeesが、自分が、ラフマニノフのコンチェルト2番を弾いている。」
小さなホールの中で、コンサートグランド、そう、フルコンのスタインウェイを前にして。お客さまもいる。。。

まずは、そのイメージを強く持つ事。そして、このイメージ、夢の実現を強く思うこと。

ここからスタートなのであろう。
ただ、イメージするだけではだめ。
本気で、強く強くイメージする。。。。
その状況をすみからすみまで、頭の中に描いてみる。
ホールの雰囲気。照明。舞台の様子。観客の様子。ピアノのディテール。
そして、舞台にはいり、おじぎをして、
最初から最後まで、頭の中でラフコンを弾いてみる。
そして、終了。おじぎ。拍手喝采。
これらをすべてイメージしてみる。

以上は、ジェームズ・アレン「原因と結果の法則」以後の成功の哲学やビジョニング系、イメージトレーニング系も少々ミックスしたものになっているが、結局は、夢を絵にして、強く思い描くことが、まずすべての第一歩なのであろうと思う。

皆さんは、未来の自分について、どのような思い、イメージを描いていますか?

--その2 了--

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思いぬく力? ・・・・・・ピアノ音楽(の演奏)論(その3)
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今回は、引き続き、ピアノ音楽(の演奏)論(その3)についてである。

昨日は、「夢、そして目標設定論」で、成功哲学系、ナポレオン・ヒルやデール・カーネギーの原典ともいえるジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」について、少々紹介し、ピアノ音楽への適用についても考えてみた。

今回は、関連するいい記事を仕事系の雑誌でみつけたので、忘れないよう書き留めてみる。昨日のおまけのようなものである。

・・本日の心に残る言葉メモ**
とある雑誌の記事からのサマリー、アレンジ。
--
毎日30分、いや15分でもいい。
何かひとつテーマを決めて追い続けてみる。
一ヶ月もすると、周りで一番詳しくなる。
一年もたつと、地域で(学校で、会社の中で)一番よく知った部類になる。
十年もたつと、その道で飯が食えるようになる。
--
自分でテーマを決めて、毎日15分を続ける。
決めたテーマに関する本を、数冊まとめ買い、読み続ける。
興味の対象は変わっていってしまう。 一週間で変わることも。

しかし、決めたことを一定期間追い続けていると、それまで、気づかなかったことが見えてくるようになる。
その結果、大事なことは何なのか、何が大事でないのかが、わかるようになる。
こうしたこだわりの姿勢は、仕事や物事に対する私の考え方のベースになっているような気がする。

そう、こだわりとは、あることについてずっと思い続ける、思いぬくということから生まれるのかもしれない。

こんなことがしたい、こうなったらいいと強く思い続けていいると、物事がその方向に向かって流れていくようになる。
なぜか、周囲の人もなぜか流れに沿うように動き出すから不思議。

強い流れ・・・強い思い・・・

何か思いを抱きながら、あれこれ発信していると、いろいろな方がそれに答えてくれる。
一度、旗をあげて振り続けていれば、物事はなんとなく旗の方向に流れていく。
#
以上

--その3 了--


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七つの習慣--自分自身を変える為のプロセス論--・・・・ピアノ音楽(の演奏)論(その4)
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今回は、2005年1月27日の日記に続き、ピアノ音楽(の演奏)論(その4)について考えてみた。

なお、念のため、以前分については、以下を参照願いたい。
弘法筆を選ばず?・・・2005年1月25日の日記・・・ピアノ音楽(の演奏)論(初回)
強く思う事は実現する?・・・2005年1月26日の日記・・・ピアノ音楽(の演奏)論(その2)
思いぬく力?・・・2005年1月27日の日記・・・ピアノ音楽(の演奏)論(その3)

テーマはおおむね以下であった。
--------------theme----------------
「アマチュアで技術もないけれど、ラフマニノフコンチェルト2番を弾いてみたい。」こんな夢を実現するための方法論はないのかなー? 一楽章のみでも!!

前提として、
自分はアマチュアであり、しかも、小学生高学年以後、バッハやモーツァルト、ベートーベンソナタ等伝統的ピアノ教育を受けていない。
でも、アマチュアだから、趣味だからといいつつも、自分としては、たとえば、上記ラフコン2番を弾いてみたいという夢実現に向けてのプロセスについては、自分なりのこだわりをもちつつ、また、自分なりの特徴を出しつつやっていきたい。
練習にも、もしかすると、音楽以外の分野の各種理論や実践法が役にたつかもしれない。
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今回も、方法論だ。

「夢、そして目標設定論」をたてた後の、成功に向けてのステップ、プロセス論である。

これについて音楽と異分野で適用できそうな論のひとつ、コヴィーの「7つの習慣」の概略を参考まで簡単に紹介してみよう。
知っている方は済みません。読み飛ばしていただければ幸いです。

#
スティーブン・R・コヴィーの「成功する人物の七つの習慣」は、(日本版『7つの習慣 成功には原則があった!』)は、1990年に初版が発行されるやいなや、大ヒット。75ヶ国で1500万部を超える超ベストセラーとなったらしい。

コヴィーの主な主張は以下。

・成功する人物は、七つの行動特性をもっている。
この特性・習慣を辛抱強く身につけようとすることによって、自分自身が変わり、いつしか成功を導くことになる。。。

具体的には、依存レベルから、自立レベルへの流れ、

第1の習慣:前向きである。
・・・・「自分の行動に責任をもち、どんな状況でも、どんな相手にでも、自分で考え主体的に対応を選択する。」

第2の習慣:物事に着手する時点で最終状況を思い描く。
・・・「達成したい未来、進むべき方向や目的を明確に持って始める。深い信念や主義などを生きる指針としている。」

第3の習慣:やるべきことからとりかかる。
・・・「重要事項を優先する」

以上により、私的成功と自立に至る。
そして、相互依存を目指す。

第4の習慣:全員が勝者となるような解決策を考える。
・・・「Win‐Winを考える」

第5の習慣:相手から理解される前に相手を理解しようと努める。
・・・「理解してから理解される」

第6の習慣:相乗効果を生み出そうとしている。
・・・「他者との違いを重んじつつ、相乗効果を発揮し、部分の総和以上の結果を目指す」

以上で、私的成功に加え、公的成功に至り、相互依存レベルに達する。
そして、さらに、刃を研ぐ。すなわち、

第7の習慣:切磋琢磨している。
・・・「絶えず向上、革新、改善を求め、学ぶ姿勢を持ち続ける」

また、
・成功するためには、個人としての有効性と職業としての有効性をバランスよく備えることが重要だ。
とコヴィーは言っており、7つの習慣も、個人とビジネス(仕事)の二つの領域で成功するための行動パターンの指針をあわせもつようになっており、上記のとおり、私的成功と公的成功双方を備えるようになっている。

深くは、以下の本にて。参考まで。

『7つの習慣 成功には原則があった!』  

読み終われば、名言集のような本も結構でています。コンパクトで役に立ちます。

##
さて、以上の応用だが、職業、ビジネス、仕事といった部分は、公の場でと考えればよいだろう。
即ち、
私的成功は、自分自身としてのピアノの練習、演奏。
公的成功は、公の場、あるいは、聴衆ありの場での、ピアノの演奏。
少々、ひねり技が必要だが、むりやり、以下に置き換えてみた。

第1:前向きに、自分で、曲を選び、主体的に練習方法、演奏法を考え選択する。

第2:ラフコン2番一楽章をロマンチックに弾いている自分をイメージする。
      二台ピアノあるいはオケをバックに、ソロを演奏している自分をイメージする。少人数でも聴衆をイメージ。

第3:ラフコン2番一楽章を弾く為の練習、準備、関連事項を優先的に実施する。

第4:自分も聴衆も、弾いて聴いてよかったと思える演奏をめざす。

第5:聴衆を理解する。聴きにきている心境、どのような音楽を聴きたいか。何をもとめているのか。

第6:セカンドピアノあるいはオケとの相乗効果を大切にする。

第7の習慣:さらに、切磋琢磨する。2楽章、3楽章も。他のラフマニノフの曲も練習、演奏する。

少々、無理があるかもしれない。また、私のこの論に関する把握違いなどもあるかもしれない。
しかし、応用はできると考えている。

勿論、ピアノ練習、演奏以外、まさしく、自分の生活に応用できることは、間違いない。
知らなかった方は、お試しあれ。

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以前も書いたが、この他、ITや経営論関連から、「プロジェクトマネジメント」や「TOC」論がピアノ練習等に役に立つのではないかなとさらに考えていますので、そのうち、また、紹介と応用を考えてみようと思います。

--その4 了--

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妥協にあたってのポリシー/ドラッカー・・・・・・ピアノ音楽(の演奏)論(その5)
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イギリス人・・・不正も半分にすると正義になる
アメリカ人・・・相手をやっつけられなかったら、相手と組め
パンは半切れでもパンだが、赤ん坊はそうはいかない。

なんのことじゃ?ということなのだが、いずれも妥協にあたっての考え方の例であり、経営論の神様P.F.ドラッカーの教えのひとつであるらしい。
(赤ん坊の例は、とても大切で割る事ができない一体であるものの例であろうか。)

ドラッカーは、何かの仕事をするとき、自分のクライエント(頼み主)が誰であるかをはっきり認識し、すべてを、そのニーズの実現のために、優先させ、ほかとは決して妥協しない。
しかし、相手の関係者のなかに自分と相性があわない人がいるときだけ、「相手を代える」という妥協だけはするらしい。

ドラッカー曰く、
・良い妥協とは、こちらの求めるものが半分でも残っている場合。すなわちパンの半分のケース。
・悪い妥協とは、二つに割ったりすれば元も子もなくなる赤ん坊の場合である。

ドラッカーが現代経営学のはしりのひとりとして高く評価しているフォレット女史(1868-1933)の古典的名著として、「ダイナミック・アドミニストレーション」(動態的管理?)があり、その中で、彼女は、以下の事項を早くも見抜いていると、ドラッカーはいう。

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1. 経営を単なる仕組みではなくて、一つの、人と人との関係する社会的なプロセスとしてみること
2. 今日でいう、エンパワーメント(権限委譲)、すなわち、部下を信頼して、その自主性を尊重してまかせること
3.  経営者が、未来をきちんと見据えて描き出したビジョンに基づくリーダーシップが経営の根本にあること
4. 取引や交渉よりも、真実の人間のかかわりに基づく関係が重要なこと

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また、特に人間と人間、組織と組織の関わり方には、

1. 対立・・・一方の主張が全面的に通る、勝ち負けの関係、しかも、あとで、リベンジされる恐れが十分に残る
2. 妥協・・・・片方ずつ、部分的にその主張が通るが、残りの部分はそれぞれ不満が残る関係
3. 統合・・・両方の主張を創造的に統合して、両者ともども満足が得られ、相互の共存共栄が図れる、いわゆる、「WIN・WIN」関係

以上の三種類があると分析している。

できれば、第三の統合が望ましい。
だめなら、やむなく妥協。ただし、パンの半分をとること。
そのためには、双方のコミュニケーションが深まり、双方の主張と立場がより鮮明になることが前提として必要ともドラッカーは述べている。
###

ピアノ音楽についていうのならば、どのような例になるのであろうか。

本来、人間同士、組織同士での話と思うので、この場合、良い例ではないが、たとえばということで、無理矢理、技術表現と、芸術表現をあてはめてみた。

○芸術表現を優先しつつも、技術(表現)が統合され、相互の共存、バランスにより、相乗効果がでている状態が望ましい。
これがベスト。

やむなく妥協すれば、
○一曲の表現において、技術(表現)優先、芸術表現優先、どちらも、部分として存在するが、それぞれ不満が残る場合。

技術か芸術かという対立構造は、×。勝ち負けではないし。
---

一曲は、赤ん坊であり、パンのように分けられないのだから、やはり、妥協は駄目なのであろう。

といいつつ、少々あてはめに無理があるみたいですね。今回は。
もともと、芸術表現の中に、その表現技術としてのテクニックがあるのかもしれないし。。。

いずれにせよ、テクニック優先でもなく、やはり、トータルの音楽表現、芸術表現を念頭においた上での、
表現技術としてのテクニックを、統合し、織り込んでいきたいものである。

--
組織において、リーダーたる場合には、妥協のポリシー、WinWin統合が無理な場合でも、良い妥協、パンの半分はとれる妥協を心掛けていきたい。


####
P.S.
その後のネットワークお友達との議論より

L>音楽の場合、技術(テクニック)は全て、その音楽の表現のために存在するのだと思います。
T>同意です。
L>むしろ対立するのは、作曲家が求めている点と、自分が感じて表現したい点なのではと思います。
T>うむ、これが対立項目としては正解かもしれませんね。

L>あるピアノ教師の本には、「分析なしに、演奏者本人の感情だけで弾く演奏は、最低」みたいなことがかかれていましたが、こと楽しみで弾く場合はそれも許されるのでは、と思ったりもします。
T>きびしい言葉です。私は感情派です。が、バッハと古典については、多少分析的にもなろうと考えています。

L>音や拍子などは「赤ん坊」、テンポやフレージング、デュナーミクなどはパンかもしれない。
T>これは、難解ですね。
T>ポピュラーやジャズ関連のバッキングですと、毎回、私の伴奏は変化するので、音は赤ん坊ではないかも。勿論、クラシックで、一音ずつが明確に定義され楽譜のあるものについては、赤ん坊。
T>ルバートなどもクラシックとポピュラーでは違う概念と思うので、ここは、クラシックと以外で区分しての議論も必要かもしれませんね。
T>今後、クラシックもボーダーレスになっていく可能性もあり、議論は難しくなる可能性ありと思います。

--その5 了--

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